子供の頃から家業のクリーニングを見てきたので、自分も大人になったらクリーニング屋になるのだろうと思っていました。そして、自動車の免許を取って白金や高輪を集配に廻りました。
ある日、品物を届けに行き「シミが落ちなかった」ことをお伝えすると「このシミが取れなかったらクリーニングに出す必要がなかった」とお客様からお叱りを受けてしまいました。
私は品物を持ち戻り、父の浅川信繁にその事を伝えると、落ちないシミは落ちないと言って返すようにと言われ板ばさみ状態になりました。
困った私は、こっそり自分でシミ抜きをしました。
そして経験も知識も浅い私は強い薬品を使って生地を脱色させてしまいました。
やがて、日米クリーニング店はシミが良く落ちると評判になりました。
ある日、お客様から「お宅は本当によくシミが落ちるわ、別のクリーニング屋で断られた物も落ちたわ、どうやっているの?」と問われました。
「どうやっているの?
・・・!!!
そうだ!これをビンに詰めて説明書をつければ、世界中の人をシミから救える!」
スポッとる製品化は、またしてもお客様からいただいたヒントでした。